皆さんこんにちは、このサイトを管理させて頂いているnagaといいます!
今回は12月11日に放送される
たけしのニッポンのミカタ!【こんなに安くて大丈夫!?激安を生む(秘)ワザ】
に、小林幸子が出演するそうなので、実家の場所や、死亡した噂などについて少しまとめていきたいと思います。
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小林幸子
名前:小林 幸子(こばやし さちこ)
生年月日:1953年12月5日(65歳)
出身地:日本・新潟県新潟市
ジャンル:演歌,歌謡曲
1963年、9歳の小学4年生の時にTBS『歌まね読本』でグランドチャンピオンとなり、審査委員長の古賀政男さんにスカウトされました。
当時はテレビの音楽番組などは生放送だったため、夜7:30のテレビ出演というのは、当時の子供にとってはかなり遅い時間帯でした。
翌1964年には、新潟市内で肉屋を営んでいた家族とともに上京して古賀事務所に所属されて、古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビューされました。
その後、デビュー曲がいきなり20万枚のヒット曲となりました。
当時、興行の世界を牛耳っていた山口組三代目と娘同然に可愛がられていた歌謡界の女王でもあるひばりに嫌われることは致命的なことでした。
しかし、後年『おもいで酒』の大ヒット後にひばりとは音楽番組共演やドラマ共演などが縁となり、とても可愛がってもらったと語っております。
1979年に『おもいで酒』が有線放送から徐々に火がついてついに200万枚の大ヒットして、この年の暮れ『第30回NHK紅白歌合戦』に出場されて、紅白初出場を果たしました。
1980年にはシングル『とまり木』も大ヒットした。その後も『ふたりはひとり』、『もしかしてPartII』、『雪椿』などの大ヒット作に恵まれ、紅白への連続出場も果たし、1991年 – 2009年まで紅白での美川憲一との派手な衣装対決は紅白恒例の話題作りとなっています。
2011年11月15日、再生医療などを手掛ける株式会社TESホールディングス代表取締役社長の林明男と電撃結婚されました。
2019年9月24日に、失明の危機で右目の網膜剥離の緊急手術を受けていたことを、10月10日に長岡市の山古志地域にある「小林幸子田」で行った稲穂の脱穀作業に中川翔子と一緒に訪れて、白い眼帯を付けて会見に応じていました。
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実家はどこにある?
小林幸子さんの父親の実家は農家で、父親には歌手になりたいといった夢がありましたが、かなわずに陸軍入隊することになりました。
その後、昭和20年の8月末の時に、父親は新潟へと帰ってきました。
そして、母親の実家である宮崎家も農家で、トマト栽培の先駆した農家だったようです。
その後は、肉屋を経営されており、「小林精肉店」というお店を営んでおります。
現在は、お肉屋をたたんで一家で東京に行かれたようで、現在は建物は残っておらず、寺院になっているようです。
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何故死亡したという噂が?
googleの検索窓などに、「小林幸子」と入力すると関連キーワドに「死去」や「死亡」といったワードが出てきます。
その理由としては、中島啓江さんや、北島三郎の次男である大野誠、川島なお美さんなどの死去に関して、気持ちを聞いた記事が話題になり、関連キーワードに死去や死亡が出てきたようですが、それにより亡くなったのかといった憶測や噂も上がったようですね。
また、小林 幸子(こばやし ゆきこ)という小林史男ダイフク副社長の母だった方が、死去されていたそうなので、そこで勘違いをされてたのかもしれませんね。
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まとめ
- 小林幸子
- 実家はどこにある?
- 何故死亡したという噂が?
- まとめ
以上が今回の記事になります。
小林幸子さんは、その派手な衣装で有名なイメージがありますが、今までの生き方も結構派手だったようですね。
実家が農家という事もあり、貧乏だったようですが、デビューしてしばらくの間は貧乏生活を送っていたようですね。
しかし、貧乏な間を耐え凌ぎ歌手として大成功を収めているのは、かなりすごいですね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。