皆さんこんにちは、このサイトを管理させて頂いているnagaといいます!
今回は7月25日に放送される
カンブリア宮殿
に、アサヒ飲料の社長岸上克彦さんが出演するそうなので、どのような経歴なのかについて少しまとめていきたいと思います。
スポンサードリンク
アサヒ飲料社長岸上克彦
生年月日:名前:岸上克彦(きしがみ かつひこ)
生年月日:1954年1月1日
出身地:京都府京都市生まれ 東京都北多摩郡(現武蔵村山市)出身
出身高校:海城高校
出身大学:立教大学
趣味:サッカー・ゴルフ
1976年立教大学経済学部を卒業後、カルピス食品工業に入社し、1991年初代「カルピスウォーター」のブランドマネジャーに就任しました。
カルピスウォーターを大ヒットさせた後、
1999年:東京支店次長
2003年:ストレート飲料事業部長
2005年:執行役員昇格
2008年:常務執行役員
2013年:アサヒ飲料常務取締役カルピス営業本部長
2014年:アサヒ飲料専務取締役
2015年:アサヒ飲料代表取締役社長とカルピス代表取締役を兼務
2019年:カルピス代表取締役社長を退任
スポンサードリンク
入社2年目での大喧嘩
岸上克彦さんの経歴を調べていて強烈なエピソードがあったので取り上げてみます。
入社2年目の営業マンだったころに、営業所は少人数だったため1人でオールチャネルを担当していたが、これが仇となって失敗してしまった事があったそうです。
電話口の大口顧客の支店長と大喧嘩になってしまい、当時は若気の至りで強くカルピスの売り方を正論で吐いたが収拾がつかなくなり怒られ、出入り禁止になってしまったそうです。
「エリアの責任を持つようになり、営業としてはいろいろなことを一気に吸収できた反面、何でも仕切ろうとしたことが裏目に出てしまった。もしあのとき、段階を経て成長していれば、正論を吐くにしても相手の意見を聞き、もう少し幅を持った知識で対応できたのではないかと思っている」
と反省と学んだ事を語っています。
以後、旧カルピス社のマーケティング部門に異動となり、ブランドの持つ力を見せつける事となりました。
このエピソードから意外と過激な方だったのかもしれませんね。
スポンサードリンク
アサヒ飲料株式会社
アサヒ飲料ビジョン
社会の新たな価値を創造し、我々の「つなげる力」で発展させ、いちばん信頼される企業となる
お客様との約束
100年のワクワクと笑顔を。
人生100年時代を共に。あなたのココロとカラダに驚きや感動、そして、健康をお届けしたい。いつも、そばに。これからも、ずっと笑顔を。
会社について
アサヒ飲料株式会社は、1982年(昭和57年)に設立されたアサヒグループホールディングスの清涼飲料水部門の子会社として設立され、本社は東京都墨田区吾妻橋1丁目23番1号にあります。
設立当初は「三ツ矢フーズ」でしたが、1987年(昭和62年)に「アサヒビール飲料」と社名を改めて、さらに1996年(平成8年)に現在の社名となりました。2011年(平成23年)7月1日、旧法人のアサヒビール株式会社が持株会社移行に伴い「アサヒグループホールディングス」に商号を変更したのに伴って、アサヒ飲料はアサヒグループHDの事業子会社となりました。
120余年に及ぶ炭酸飲料のロングセラーブランド「三ツ矢サイダー」やオレンジ飲料のロングセラー「バヤリースオレンジ」、国産の本格的なスパークリング・ウォーター(炭酸水)の中で最も長い歴史を誇る「ウィルキンソン タンサン」、缶コーヒーの「WONDA」、ブレンド茶の「十六茶」、乳酸菌飲料のロングセラー「カルピス」などを製造・販売するアサヒグループのソフトドリンク事業を広げていきました。
清涼飲料水業界では2017年現在、コカ・コーラボトラーズジャパン、サントリー食品インターナショナル(サントリーフーズ)に次いでシェア第3位を獲得しました。
現在は清涼飲料水の他、アサヒグループHDの酒類事業会社であるアサヒビールが販売するカクテル・チューハイなど酒類の製造も行っています。
スポンサードリンク
まとめ
- アサヒ飲料社長岸上克彦
- 入社2年目での大喧嘩
- アサヒ飲料株式会社
- まとめ
以上が今回の記事になります。
岸上克彦社長が入社2年目で取引先と大喧嘩をしていた事を知ったので、かなりビックリしました。
やはり誰でも若い頃に、大きな失敗というものをするものなんですね。
アサヒ飲料株式会社のカルピスは、小さい頃から飲んでいましたし、妹たちも好きだったのでこれからも飲んでいきたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。