日本初のアイドル明日待子の死去とカルピスとの関係や経歴!【爆報!THEフライデー】

皆さんこんにちは、このサイトを管理させて頂いているnagaといいます!
今回は9月20日に放送される

爆報!THE フライデー【人気アイドルIZ*ONE&美人アナの壮絶介護】

で、日本初のアイドル明日待子さんの話題があがるようなので、死去しているのか?カルピスとの関係と経歴などについて少しまとめていきたいと思います。

スポンサードリンク

日本初のアイドル明日待子

出典: https://twitter.com/hashtag/%E6%98%8E%E6%97%A5%E5%BE%85%E5%AD%90

芸名:明日 待子(あした まつこ)
本名:須貝 とし子(すがい としこ) 
別名義:五條 珠淑(ごじょう たまとし)
生年月日:1920年3月1日
出生地:日本・岩手県釜石市
職業:女優、舞踊家

明日 待子さんは、日本の女優、舞踊家で、昭和初期〜戦後にかけてムーランルージュ新宿座の看板スターの一人で、元祖・ライブアイドルの一人です。また、諏訪根自子・山口淑子・原節子と共に日本初のアイドルの一人とされています。日本舞踊家では、正統五條流宗家家元・五條 珠淑(ごじょう たまとし)を名乗っています。

1920年の時には、岩手県釜石市で生まれて、尺八を嗜む警察署長の父と義太夫を嗜む母の影響があったため芸事に関心を持ち、女優を志すようになりました。

13歳のときぶm釜石市において地方巡業中だったムーランルージュの俳優・有馬是馬氏にスカウトされて、即入団が決定したそうです。
1933年に上京し、劇場設立者の佐々木千里宅に居候し始めて、入団当時の愛称は「チィ」と呼ばれ、屈託のない笑顔、愛らしいルックスで人気を博してゆき、ムーランルージュ新宿座の看板女優として活躍をしました。

現役時代は雑誌のグラビアや初代カルピスCMガール、ライオン、キッコーマンなどのポスターに起用されるなど一大ブームを巻き起こし、現在でいうところのアイドル的人気を確立しました。

1938年の時に、映画『風車』に出演し、以降は『春爛漫狸祭』・マキノ映画作品『鉄路の薔薇』合わせて3本出演しています。
1946年には、キングレコードより「楽しき明日」を発売し、1949年には、北海道の興行会社「須貝興業(現・SDエンターテイメント)」の御曹司と結婚しました。
1994年の時に、正派五條流宗家家元、五條珠淑を襲名し、以降は日本舞踊家の師範として活動しました。
2011年に、新宿ケイズシネマで上映された映画『ムーランルージュの青春』の舞台挨拶に出席し、約60年ぶりに公の場へと姿を現しました。
スポンサードリンク

カルピスとの関係は?

出典: https://matome.naver.jp/odai/2148917415165827501

明日待子さんとカルピスの関係は、当時「初恋の味」をキャッチコピーで売り出していたカルピスの専属モデルになっています。
当時のポスターを見れば、その可愛さというか、美しさが滲み伝わってきます。
明日待子さんが、ムーランルージュ新宿座の看板女優になるほど大人気だったこともあり、とにかく広告モデルとして引っ張りだこだったようですね。
今も昔も、アイドルをポスターに起用されるのは変わらないようですね。

スポンサードリンク

明日待子の死去

出典: https://jisin.jp/entertainment/interview/1616107/

明日待子さんは2019年7月14日に、亡くなっていたことがわかりました。

死因は99歳の老衰だったそうで、葬儀は家族だけで営まれました。

結婚そして以来、札幌市に居を移してたのち、「五條殊淑」の名前で日本舞踊の活動を続けていました。

2019年9月8日には、札幌市教育文化会館で百寿を記念した、「芸歴八十六周年 百寿の会」が予定されており、親族の方によると、亡くなる前日まで扇を握って練習に勤しんでいたそうです。
本来予定されていた公演は「偲ぶ会」として開催されて、遺影やパネル写真のスペースを設けるほかに、明日さんが出演した1948年の映画「春爛漫狸祭」も上映される予定だそうです

スポンサードリンク

まとめ

  1. 日本初のアイドル明日待子
  2. カルピスとの関係は?
  3. 明日待子の死去
  4. まとめ

以上が今回の記事になります。

日本初のアイドルこと明日待子さんは、戦前から女優として活躍をしており、戦時中の頃には、兵士向けの雑誌でグラビアを飾ることや、慰問の参加と満州に訪れるなど、アイドルとして兵士の方々を応援するようにかつどうをしており、戦況が激しくなると、「ムーラン」の名前は「作文館」に変えられましたが、明日さんは空襲警報が鳴る中でも舞台に立ち続けたそうです。

伝説と呼ばれるような逸話を残していたようで、かなりすごいですね。

これからは、安らかに眠りについて欲しいですね。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク