皆さんこんにちは、このサイトを管理させて頂いているnagaといいます!
今回は7月16日に放送される
マツコの知らない世界【なぜブーム到来!?新宿ゴールデン街】
に、原島玲子さんが出演するそうなので、新宿ゴールデン街でも有名なママという事なので、どの様な方なのかについて少しまとめさせていただきました。
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原島玲子
本名:原島玲子(はらしま れいこ)
生年月日:1964年?月?日(55歳)
出身地:東京都新宿区
職業:「Barロベリヤ」2代目ママ
お店の「Barロベリヤ」は、昭和30年代に母親である千代子さんがお店を開業させました。
昔のゴールデン街には、飲食店街でもあると同時に住宅街でもあった中で、原島玲子さんは生まれました。
そして、玲子さんが幼い頃に両親は離婚しており、玲子さんは母親と2人で暮らすことになりました。
そんな玲子さんですが、生活していく中では寂しく感じたことはなかったそうですね。
あの時代のゴールデン街は長屋で、ご近所さんとの距離が近くて、近所付き合いも活発である時期だったので、周りの人と助け合いながら、子供時代を過ごしていたみたいですね。
しかし、昭和60年代のバブル崩壊の影響によって、大半飲み屋が閉めてゆき、地上げ屋がウロウロするようになる中でも、母親の千代子さんは店を手放すことなく懸命に生き抜いた事により、現在では新宿ゴールデン街の名物ママとして、テレビでも新宿ゴールデン街のロケでは外すことができないお店となりました。
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新宿ゴールデン街とは?
昭和33年ごろから飲み屋街となっている新宿ゴールデン街ですが、新宿歌舞伎町の外れに位置しており約3万平方メートルの区画であり、その区画に約300店舗のスナックやバーが軒を連ねる新宿きっての超過密エリアとなりました。
特に高度成長期からバブルの時代は文化人や各メディア関係者がこぞってこの地域に集まることで知られるようになり、この地域に複数あった「文壇バー」と呼ばれるバーでは夜な夜な日本を代表する文化人たちがこぞって集まり、文学論に花を咲かせていたという話があるくらいに有名な地域となりました。
バブル崩壊時には、陰りを見せていたゴールデン街ですが、終戦直後から残されている木造長屋形式の「レトロな街並み」だったため、観光資源としての注目が集まることとなりました。
現代のゴールデン街は、外国人観光客で溢れる程の盛り上がりを見せており、2009年には「ミシュラン日本版観光ガイド」において、観光地として2つ星の評価を得ることとなりました。
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原島玲子のお店「ロベリヤ」とは?
新宿ゴールデン街には、お客さん同志が守っているマナーのようなものがあります。
そして、原島玲子さんの「ロベリヤ」も例に漏れ無いどころか、新宿ゴールデン街のお手本と言っていいようなお店みたいですね。
1つ目は1階は出入りがしやすいので、初心者のお客様にお薦めである事です。
2階は基本的に慣れているお客様が多く、雰囲気を知らないと恥をかいたり飲まれてしまうかもしれないからみたいですね。
2つ目は、店に入店したら店員に一杯奢り、コミュニケーションを取って、お店が一杯になったら先にいたお客さんから店を出ていくことになっています。
これはたくさんのお客さんが、訪れることができるように自然とできたマナーなのかもしれませんね。
3つ目は、お客さんを送り出すときには、「いってらっしゃい」と送り出すそうで、また戻っておいで!という意味があるそうです。
この様に、ゴールデン街を歩くときは覚えていた方が良いゴールデン街のマナーとなっており、居心地のいい空間を目指している優しい空間であることがわかりましたね。
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まとめ
- 原島玲子
- 新宿ゴールデン街とは?
- 原島玲子のお店「ロベリヤ」とは?
- まとめ
以上が今回の記事になります。
原島玲子さんは、厳しい時代の新宿ゴールデン街を過ごしており、それでもお店が消えることなく、今ではゴールデン街の名物となるようなお店となっており凄いですね。バブル時代から残っているお店はロベリヤのほかにどれぐらい残っているのですかね?
昔ながらの見た目という事ですが、新しく開いているような店もあるみたいですが、バブル時代とあまり変わらない雰囲気となっているみたいなので、もしかしたら時代を戻ったように感じるかもしれませんね。
私も一度は訪れてみたいところですね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。