皆さんこんにちは、このサイトを管理させて頂いているnagaといいます!
今回は6月7日に放送される
爆報!THE フライデー【芸能界親子の秘密&あのオカルトは今…大追跡】
に、高橋 英樹さんとその娘の高橋 真麻さんが親子出演し、親子の秘密を語るということで、普段から仲良い親子として有名なので、まとめてみたいと思います。
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高橋英樹
父親は教職者で、高校の校長を務めていました。命名は当時の東條英機首相にちなんだものだそうで、きょうだいは姉二人(9歳上と8歳上)に6歳上の兄です。
1961年、高校在学中に日活ニューフェース第5期として日活株式会社に入社し、第5期の同期には、中尾彬や竜崎勝(高島郷と高島彩の父)がいました。
そして、同年の映画「高原児」でデビューしました。
1962年(昭和37年)、撮影所内で事故死した赤木圭一郎の代役として日活より『激流に生きる男』で主演格となりました。
大部屋(仕出し)を経験せず、いきなり役付きで出演するという、当時の新人俳優としては異例のデビューだったそうです。
1963年(昭和38年)、『伊豆の踊子』では吉永小百合の相手役を務めて、この年から数年間にわたり、『男の紋章』シリーズを初めとする任侠映画の主演スターとして活躍するようになりました。
1966年(昭和41年)には青春映画『けんかえれじい』の主役・南部麒六を演じましたがしかし、映画界の斜陽、観客数減少に歯止めがかからず、日活は1971年(昭和46年)秋に低予算のポルノ映画制作に、路線変更を決定しました。これを機に高橋は日活を離れて、本格的にテレビへ活躍の場を移しました。
1968年(昭和43年)、NHK大河ドラマ『竜馬がゆく』で土佐勤王党の盟主・武市半平太役で時代劇初出演を果たした後に、1970年(昭和45年)の『旗本退屈男』(フジテレビ系)にも主演をしました、これらを皮切りに1970年代から1990年代前半にかけて時代劇俳優としての地位を確立いたしました。
その後はテレビ・舞台を中心に活動し、時代劇のみならず現代劇作品やバラエティ番組への出演など、多岐にわたる活躍を果たしていきました。
2011年(平成23年)、芸能生活50周年の節目にアニメーション作品『劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム』で、ポケモン・ゼクロム役として初めてアニメ声優に挑戦しました。それと同時に、声の出演ながら36年ぶりに映画に復帰することになりました。
2013年(平成25年)3月16日には、東京都台東区立浅草公会堂で行われた、『第29回浅草芸能大賞授賞式』および『第30回浅草名人会』並びに、平成24年度『スターの手型』顕彰式に出席し、第29回浅草演芸大賞・大賞を受賞しました。
2019年1月31日付で、娘の真麻と共にアイウエオ企画によるマネジメント契約を終了し、翌2月1日よりグレープカンパニーに移籍しました、移籍の理由として「真麻の結婚を機に私達二人の仕事の面倒をずっと見てくれていた奥さんに好きな事ができる時間を少しプレゼントしようと言う事になりました」と明かしています。
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高橋真麻
大学在学中にはフジテレビお台場アナウンススクール、TBSアナウンススクール、テレビ朝日アスク、と各局のアナウンサースクールに通っていました。
2004年4月には、フジテレビにアナウンサーとして入社し、同期のアナウンサーには斉藤舞子さん、倉田大誠さんがいます。
2007年7月、ブログ「マーサ☆ワールド」がスタートし、2007年10月から2008年3月までゆりかもめ東京臨海新交通臨海線『市場前駅』の案内アナウンスを担当しました。
2012年4月には、入社以来初めて帯番組を担当しました。
2013年、2月13日に本人の希望により3月末で退社することを発表し、広報を通じてファクスで「アナウンサーという枠を超え、より幅広く仕事をしていきたいという思いが強くなりました。
4月で入社10年目を迎えるこの節目に自分の可能性を試してみたいと思い退職を決意いたしました」と説明をしました。
2013年3月31日にフジテレビを退職し、母親の小林亜紀子が社長を務めるアイウエオ企画に4月1日に所属しました。
2018年12月22日、一般男性と結婚をしました。
2019年2月1日には、父の英樹と共にアイウエオ企画からグレープカンパニーに移籍しました。
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高橋親子の仲良しエピソード
高橋英樹さんと小林亜紀子さんの1人娘である、高橋真麻さんはフジテレビのアナウンサーになったことにより話題となりました。
親のコネで入ったような噂も聞かれますが、高橋真麻さんは自身のルックスを客観的に見て、アナウンス室ではゲテモノのような存在であると思っていたそうです。
そんな娘高橋真麻さんは、フジテレビを退社しフリーアナウンサーになったことで、様々な番組に出演することになり、たちまち人気者になりました。
そこでいつも語られるのが、高橋英樹夫婦からの溺愛ぶりが異常なことでした。高橋英樹さんは、高橋真麻さんが1981年に誕生した時、仕事を休養し育児に専念している時がありました。
当時は育休等は、今ほど世間では浸透しておらず、とても珍しいことだったようです。それもそのはず、1人娘の高橋真麻さんは、 3度の流産を経てやっと産まれてきてくれた大切な子供だったのです。辛い時期を乗り越えて、やっと授かった子供ですから、溺愛して当然かもしれませんね。
高橋真麻さんがまだ赤ちゃんの頃、高橋英樹さんはねじりはちまきをしながら、おむつ交換や3時間おきのミルク、夜泣きをしてしまったときに抱っこをするなど、育児にとても協力をしていたそうです。とても素敵なお父さんです。
そんな、娘高橋真麻さんも大人になり一人暮らしを始めました。
その一人暮らしをするためのマンションを、高橋英樹さんは購入してあげたそうです。
その値段はなんと、8500万円だそうです。
とても高級なマンションで、これについて高橋英樹さんは、「娘のためと言うよりかは、高橋家のセカンドハウスとして購入した」とかたっていました。
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まとめ
- 高橋 英樹
- 高橋 真麻
- 高橋親子の仲良しエピソード
- まとめ
今回の記事は以上になります。
高橋英樹さんの娘愛が凄いですね。
高級マンションをセカンドハウスとはいえ、娘さんの一人暮らしのタイミングで買うのは、だいぶ溺愛していると思いますね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。